【支援のカタチ】「知る」「話す」「考える」

 

 

BONBONCANDYにじいろじかん はチャリティユニットです。

チャリティユニットなので、寄付を促進する活動をします。

そして、活動してみて気がついたことがあります。

「寄付」ってお金だけじゃない!てこと。

 

2021バレンタインアートキットに取り組んでくれた子♡この体験もチャリティです。
目次

団体が寄付を求める理由って?

例えば、街中で「募金をお願いしま〜す」と何かの団体に声をかけられたとします。

その団体の目的はきっと2つ。

一つ目は「お金を集めて事業に活かすこと」

そして二つ目は「知ってもらうこと」

「知る」ためのオリジナル紙芝居読み聞かせ。絵本化を待望する声も多い。

 

私がこの活動を始めるまでは

「こんなお金じゃ足しにもならない…」みたいな

劣等感というか、謙遜の気持ちがありました。

(そしてそれに答えるように、例えばユニセフさんが「100円でできること」などを明示してくれていますね)


だけど、お金を集める側になってみて感じるのは、

金額で不満におもうことはありませんし、もっというとお金と同じくらい

社会課題を「知ってもらうこと」自身にとても価値があると感じています。

「知る」ことから始まる未来

これは友人から聞いた例え話からインスパイアされていますが

とてもわかりやすいので、シェアさせてもらいますね。

例えば、そこにゴミが落ちていたとして。

気がついたから、拾う人がいるかもしれません。

できれば、そういう人になりたいと思います。

(私は近くにゴミ箱があれば拾いますが、なければ、「今日ゴミ袋持ってないしな。。」と思って見過ごすことが多いかもしれません)

見て見ぬ振りをした人は、

明日は勇気を出して拾うかもしれません。

(私はここかも。「ゴミ袋携帯用のやつ買おう」て思ってます。
100きんにも似たのがあるみたい)

でも、気づけない人は?

拾った方がよかったな、、とおもうこともできません。

でも、気づけない人が悪いのでしょうか。

その人を責められるのでしょうか。

そんな時、「実はここにゴミが落ちていてね」と声をかければ、その人は「気付かなかった…次回から気をつけよう」とおもうかもしれません。

「知らない」は仕方ないとおもうんです。出会いがなかっただけ。

だけど、「知る」と世界は変わります。

ゴミが落ちてても気付かなかった人が、「ゴミが落ちてるな」とおもうようになります。

そしてその中の数人は「拾って捨てよう」とおもうかも。

社会課題の前ではちっぽけな自分

社会課題の多くは、とんでもなく大きな問題で、時に自分の力など無力だと感じます。いやそんなことばかりかも。

だけど活動を続けていると目の前の人たちに少しづつ変化が起こる手応えがあります。
 

私が好きな澤田智洋さんの著書にこんな言葉がありました。

一度に世界は変わらない。だから世界を一度ずつ変えていく。

マイノリティデザイン」澤田智洋

(あぁ惚れ惚れすることば…澤田さんの言葉ではないのだけれど…)

チャリティって敷居が高いと思っている方。

「へぇ、ご立派な方々…自分はそこまでできない…」と思っている方。

支援の方法って、たくさんあるんです!

その一つが、「知る」こと。

そして、「話す」「考える」

目標はひとつ。未来をもっと希望のあるものに。


チャリティ団体の目的は「お金を集めること」ではありません。

(何度も言うけど、お金はだいじだけれど…!)

社会課題を、たった1°でもいい、解決に向けて動かしたいんです。

そのためにできること。たくさんあります!

私たちがみたい世界は(立ち向かう社会課題は)

小児がん等の命を脅かす子どもの存在を

「多様性の一環」として受け入れ

互いに認め高あう社会の実現


きっと、「多様性として受け入れる」ことができるこは

自分自身の中のマイノリティ性も受け入れることに

つながるとおもうのです。

(例えば私は、「小児がん患児の母」だけではなく

「アイロンが極度に苦手」と言うマイノリティ性も持っております。

こう言うレベルでもマイノリティ語れるとおもう)

ご支援はあらゆる形で。→

どんな形でも、とてもとても嬉しいです。

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